科学的思考(客観という虚偽自我主張位相)から再生(反省)の柔軟な発現へ

科学など無く、再生(反省)があっただけだ。たとえ進化があったとしても、「存続」は、科学という客観などではなく、反省という内省(発現)から柔軟に生まれているからだ。

 

「宇宙を見る眼」から「宇宙から見る眼」へという方法論も、それは科学という近代視点(概念)ではなく、「存続の危機」という反省から生まれた視点である。「小さな自分」の発見だからだ。

 

こうした理由から「人は外側からの思考が理解できない」ということが初めてわかる。それは客観という科学的視点(外からの視点)からではなく、反省(内省)から生まれた視点だからだ。

 

存続を保障するのは科学という客観ではない。もし科学という気分屋の力学(力)や量子力学(デタラメ)を異装信望するなら、それは「自我主義」(エゴ)と言わざるを得ない。そしてそれをあえて客観と言うなら、「絶滅運命種の定義」(客観)でしかない。

 

「偶然を運命とすること」は、本来「高度な知恵」である。それは存在に「無」を含む。「自分があり得ないこともあり得たのだ」という刹那(内省)の認識である。

 

ジョルジョ・アガンベン氏は言う。

それはアリストテレス以来の「可能態」が、「現実態」に移行した時点で、「可能態」が消滅するものではないということである。いつまでも人は「潜勢力」(可能態)を持つと、反省して生まれ変われると。そこには自己の「無」化も、可能態という「再生・反省」も永続的に含まれた「ⅮNA」が確実にあると。

 

参考

 小松左京全集完全版45「SFってなんだっけ?SFへの遺言 未来からのウインク」

「理性の権利」  トマス・ネーゲル 著

「誕生のインファンティア」  西平直 著