主観のなかの社会階層

本書はヒント秀逸である。

 

「人々の意識の変化を明らかにすることと社会的な現実の変化を明らかにすることは、ほとんど等しいものになる。」と本書は切り込む。そして社会の各所に不平等を見出すことから、格差社会の意識は生まれたと説く。

 

つまり自分の考えていることは自分が一番よく知っているのだから調査するまでもない、ゆえに調査するべきは客観的事実であると人々は言うかもしれないが、そうではないということだ。自分を知らないからこそ、社会は「主観」によってこそ掘り下げられるのである。

 

継続は力なりの労働倫理が「総中流」をささえていたが、経済成長により人々の自由に対する意識も拡大したが、そこにあったのは中流が支える相対的不満(不自由)の認識深化であった。豊かさの末には「興味ある自由」があるはずだったが、そこには帰属意識と階層という不自由さしか待っていなかったのである。これが格差という不満足の根底を、事実よりも主観意識として先に自覚したのである。そして更なる階層社会として構成認識された。自由は横広がりであるはずだったが、上下しかない広がりは自由とは無縁だったのである。

 

つまり階層イメージの共有化と、社会問題に対する認識の変化はこうして生まれたのである。

 

参考

「社会意識からみた日本」階層意識の新次元  数土直紀 編