明治維新と陸軍

維新政府」とは「王政復古の大号令」を機に、「廃藩置県」に至るまでの幕藩体制に代わる「朝藩体制」を示す。

攘夷から始まる外向けの兵器的武力思想から通常ならスタートしたはずだが、歴史は「朝藩体制」組織化のために「徴兵規則」(用兵思想)と「兵式統一」を礎として行く。そこから「陸軍的」規範が大日本帝国をリードしてゆくことになる。

外の侵略に備えるべき日本の西洋兵術導入は、その武器・開発の導入研究ではなく、中央権力確立のためへの「徴兵制」と、全国組織化のための「兵書理解」が急務に選択された。

 

こうして朝廷と諸藩を「国家的位相」で直結しようとした試みが、維新政権を全国政権にする地歩の確立へとつながった。そしてこの中心をなしたのが、戊辰戦争を経て、軍事力ではなく、「陸軍」という全国組織化論であった。つまり直属軍隊編成による斬新的な廃藩置県の路線こそ、のちに日本陸軍を中心に帝国化してゆく日本の運命であった。

 

つまり明治維新ではさまざまな位相が見られたのである。

西洋技術の導入は思ったほど科学的(武器)なものではなく、むしろ軍隊の合理的組織論の導入模索であった。そして外に向けられるべき防衛は、内なる全国統治に向けられ、その両者の位相が、最終的に「日本陸軍」に結実し、大日本帝国としての道を歩み始めるのである。

 

明治維新は、幕藩体制からの脱却をめざし近代主権国家の形成を目指す一方で、藩の力を利用しながら国家的軍事力の整備を偶然になし得たのである。廃藩置県は「徴兵制」と西洋的兵法(組織化)の導入により実現したのである。そしてそこから生まれた「陸軍」という組織は、西洋科学導入の裏付けもないまま、大日本帝国として歩き始めるのである。

 

参考

明治維新と陸軍創設」  浅川道夫 著