「ハンナ・アーレント講義」を読む

 生きるということと思考は同一であった。生そのものが領域である以上、生存そのものさえ問題になったのである。アーレント女史は「思考を職業としている者」ではなく、思考を自分の生(=活動)の中心に据えていたのである。

 

しばしば「証言」は個人をしても官僚制的に嘘をつかせる(悪の凡庸さ、あるいは思考停止の陳腐さとして)。しかし「証言」という言葉(思考)は未来への誘いでなければならない。ゆえにクリステヴァ女史も言語(=活動)、つまり生の歴史としての証言者(思考者)になろうとしたのである。そしてその活動(思索活動)を見ればそれが嘘でないことがわかるというのだ。

 

参考

ハンナ・アーレント講義」  ジュリア・クリステヴァ 著