「ハーヴェイロードの前提」再考

 ハーヴェイロードの前提」は、ケインズのように政治の政策を一変させるような、まれな才能と支配力のあった者だけが使える時代限定の理屈である。通常は票集めの競争を強いられている政治民主主義により、賢明な政策選択はなされない。中央銀行の政治からの独立性(知識エリート集団)はあれど、中央銀行の機能は財政制度とは別物であるからうまく補助しない。

 

しかし民主主義の下で赤字財政が生じているのであれば、「民主主義」を手放すのではなく、「赤字」のほうを治したいというのが「理論」である。

 

現在「ハーヴェイロードの前提」に立つ政治家の「入信」はあり得ない。なら財政政策というものが赤字を前提として生まれたという歴史の現実を「改めて」認識したほうが早い。財政政策の存在意義を吹聴した歴史的詐欺師たちのマクロ経済学をブキャナン氏はこう批判する。財政という理念は、政治家が票集めをしやすいような争点として発明されたような装置のようなもので、民主主義というより「政治内容」を疑似的に創造したともいえる。もし財政政策がなければ、政治に然したる選別軸はなく、きっと何も思いつかなかったにちがいないからだ。

誰でも思いつくポピュリズムはこうして生まれた。

 

要するに賢人が政策を決める社会体制と比較すると、民主政治の体制では、財政黒字を維持できる見込みは薄れるのである。

「反黒字」のバイアスが生まれる理由は、

1、自分が直接、増税の対象となる場合、もしくは自分が恩恵を受けている公共財・サービスが削減される場合。

2、総需要の減少で、自分の経済上の立場(労働者、投資家、資産の保有者としての立場)に悪影響が出ると考えられる場合。

3、インフレで経済的な利益が得られると考えられる場合。

この三つの理由のどれか一つ、あるいはその組み合わせにより、景気抑制型の予算調整に反発する可能性がうまれる。そう考えるとつまり、民主的な社会で赤字財政に対する政治的な反発が起こることはないのである。赤字財政を計上しても直接的に誰も損をせず、得をする人ばかりだからだ。

 

しかし現代、財政政策というこの存在が逆に格差社会を明るみに出し、そのフィクション性を増々明らかにしている。これは明らかに知らず知らず「偏った政策の肥大」に陥ってきていることを意味する。

 

 参考

「赤字の民主主義」ケインズが遺したもの ジェームズ・M・ブキャナン リチャード・E・ワグナー 著