反知性主義の時代(戦略主義の終焉)

教養主義とは何んだったのか?

いままでその背景には、箱物という「学校」(権威?)の存在があった。ゆえに教養主義に対する批判的アプローチは当然「反知性主義」になる。なぜなら教養主義(学校教育)のポテンシャルはいま衰退しているからだ。新たな「カルチャー」(文化)が定義される時代がいまアメリカやEUから「開国」のように来たのである。

 

本当の知性(反知性主義)とは「理解したり分析したりする能力」ではなく、自分に適用する「ふりかえり」の作業を含む。つまり人間という人格や自我の存在を自己に示唆する。知能が高くても知性の低い人はいる。それは、知的能力は高いが、その能力が自分という存在のあり方へと「振り向けられない人」のことである。だから、犯罪者には「知能犯」はいるが、「知性犯」はいないのである。つまり知性の「振り返り」とは、知性が「欠如」していることではなく、知性が知らぬ間に「越権行為」を働いていないか?自分の「権威」を不当に拡大していないか?と言う今日EU諸国で研究されている「傲慢」の生い立ち研究に近いものである。

 

つまり自己反省を伴う「見性」こそが、上達者に「見て学ぶ」という「上達した自分」のイメージの構築にも絶対不可欠であるからだ。

理解や分析という合理的?なすべて自己を除く「外側」からの見方は、「自己成長しない愚かな『戦略』」であることがここで明かされる。

 

参考

反知性主義」  森本あんり 著

『視覚文化「超」講義』  石岡良治 著

「合理的なのに愚かな戦略」  ルディー和子 著

現代アートの本当の見方」  フィルムアート社 編