自己証明と説明責任

公害等の環境政策は従来行政の「規制的手法」がとられていたが、経済活動の「民間主体」が現在である今、行政は規制しうる正確な「情報的手法」を持ってさえいない。されば「経済的手法」という「保全政策」の結果すら評価するすべがないのである。

 

つまり歴史的過程が逆転したのは、上記の理由による。

 

まず民間の情報開示と説明責任という「情報的手法」を先にもって、「規制的手法」「経済的手法」がのちに正確に取られるという流れが正当化されたのである。己を知り己を他者に説明できることが、他者による情報不足な不正確な調査より、より正しい公共政策がとれるということである。

 

今後使い方や可能性は、偶然の幸運や、消費者の組み合わせの「妙」などに任せることはできず、説明できる範囲での規制をかけることになるであろう。製品とその製造者が倫理的に責任を負うことは、3Ⅾプリンターの時代等が到来した以上当然である。

 

イノベーションが偶然」ではすまされない環境倫理を今後ベースに規制の対象となる。

物に直接語らせてはならない。

 

 参考

第3版「環境政策論」  倉阪秀史 著