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差延の開始

中村真一郎「死の影の下に」の印象・・・・井村君江

「動物の死」にはすぐに納得が行く。それは生きていることの「終わり」を意味するからだ。しかし人の死は山奥で死ぬ静かな動物の死とは異なる。煩雑な法律的経済的習慣的な社会機構が現われる「開幕の合図」である。一人の人の死は、社会の定められた穴埋めが必要となる出来事とみられる。そして知った人々の記憶のなかで死んだことが認識されれば、その人は「今までよりももっと生きている」ことになり、その濃度は以前より深まる。死の開始は人々の記憶に残るから死の進み方が遅くなる。つまり人は「完全な死」を遅らせるのである。

 

参考

中村真一郎手帖12」   中村真一郎の会 編

リスクの「あり方」

リスクの存在は、機械警備上は監視社会にある。しかしそれは「タイムライン上」にはない

 

 - 誘導と流動の抑止差異について -

 

参考

「日本経済と警備業」ゼロから3兆円産業への軌跡    遠藤保雄 著

劣化する「発見」

「劣化する環境」は相互作用から起こる。しかもそれは「交流」のない相互作用である。

「ファイトプラズマ」は、「動物マイコプラズマ」という「異分野」との「交流」から生まれる。「見えて」はいたが、この横断交流がなければ、「発見」とはならなかったのである。

つまり「先入観」を持たないことが「独創的な感性」と言えるのは、そこに異分野との交流が必ずあったときのことを言うのである。ここに「偶然」という「真意の交流」がある。

 

キーワード:学際 交流

 

参考

「植物医科学の世界」   監修:西尾健  編著:堀江博道/橋本光司/鍵和田聡

新プライバシー理論

プライバシーはそもそも「存在する」のか、「存在しない」のか?「必要」なのか「不必要」なのか?

科学的証明なら「存在しない」を突き詰めて行き、「必要」の問題は考えない。

安全とプライバシーは、ゼロサムトレードオフ関係にあるのか?もしあるなら経済学上のトレードオフのように「利害関係」にある。保護主義も反保護主義も「類似」であるように。

そしてここから切り込むなら、全プレーヤーが関係する「多元社会」におけるプラグマティスト(デューイ)のように、最終的にすべてはうまく働くと考えられる(アダム・スミス)。そしてその前提には、ウィトゲンシュタイン氏の提唱する「家族的類似」の概念があるからだ。

「利益衡量の天秤」にのせるなら、プライバシーはたぶん「個人的利益」にではなく「社会的利益」に依存するものである。「存在しない」(個人)を前提にして、プラグマティスト的多元化を実現するなら、そこには「社会的利益」があることも否定はできないのである。

 

キーワード:リーク 監視社会 多元主義

 

参考

「プライバシーなんていらない!?」   ダニエル・J・ソロブ 著

「形式上の個人」と「事実上の個人」

本書は解放感をめぐる冒険である。

共同体の姿をまね、本当の共同体をゼロからつくると約束しながら、実際には、そうした共同体の形成を妨害する個人は確かにいる。

「形式上の個人」を待つ運命と、「事実上の個人」の運命のあいだの渡りきれない、あるいは渡りきれるとは到底思えない亀裂から生じる苦痛を鎮静してくれる祝祭は本当にあるのか?

日常生活において、私たちは個人になることを迫られ、多くの人びとは「形式上の個人」となる。それは、「不幸をだれのせいにもできないこと、挫折をみずからの怠惰以外のせいにできないこと、救済手段を努力以外に見出せないこと」である。

しかし運命をみずから決定し、真の選択ができる「事実上の個人」になることは、決してできない「相談」ではない。

 

参考

「ロックフェスの社会学」個人化社会における祝祭をめぐって    永井純一 著

持続可能性の真意

人は疑うより、信じやすい。信仰も科学もそれについては同じだ。

「認知的錯覚」は「視覚的錯覚」と同じくらい持続性の高いメンタルの罠である。

これは知的クイズではない。現実生活を破壊する可能性が高いから、「行動経済学」や「相対性理論」は真実を求めて我々に押し寄せて来たのである。「バイアス」を超えた「パラダイム」は時代の要請である。

偽科学は異常なほど高い確率を人々にわざと示し、信仰のようにその可能性に怯えさせる(代替の罠・利害の罠)。

非科学的」思考は、まず前提から出発し、その前提を裏づけるものを探すが、「科学的」思考はまず前提をくつがえそうと試みる。前提をくつがえそうとしてもくつがえせない「再現性」があるとき、それは結果として報告されるのである。

 

 

キーワード:コペルニクス的転回 持続可能性 

 

参考

「メンタリズムの罠」TRICKS of the MIND   ダレン・ブラウン 著

システム論(トーマス・A・エジソン)

離散数学はグラフとネットワーク、すなわち人間が「集団・集合生活」するために必要な「網」を理解する。

自然は科学的対象においては「自分自身」と向かい合っている。探究の対象はもはや自然自身ではなく、人間の質問にかけられた自然だからだ。自然は単体ではなく、人間との相互作用を事前に含むからこそ、集団でありながら自分自身に向かい合っている。

そしてその表れは「驚くべき経験の軽視」という「科学技術時代の加速」である。個人の経験は集団に嚙み合っていない。

エジソン氏は集団・集合という概念のため、システムを発見した。電球や発電機、録音と映画は個人のために発明されたものではない。集団・集合をつくるために発明されたシステムだからである。

エジソン氏が、発電機と50個以上の電灯を用いた小規模な「システム」をデモンストレーションして見せたと時から、重要な時代は始まるのである。

これは「個原理の説明」ではなく、「人々」の感動をよんでいるからだ。

 

キーワード:交通網 物流網 金融網 通信網

 

参考

岩波講座応用数学基礎12「離散数学」    藤重悟 著

「現代物理学の自然像」   ウェルナー・ハイゼンベルク 著

エジソン」電気の時代の幕を開ける  オーウェン・ギンガリッチ 編集代表