千早振る

「ちはやぶる」「大原や」にみられる「神代」の語の表現は、「源氏物語」へと変質して行く。そして「見立て」や「やつし」は、やがてパロディーの源流となって行くのである。

 

キーワード:白居易

 

参考

伊勢物語の生成と展開」   山本登朗 著

利用のイメージ(聴衆)

現代から見た「クラシック音楽」も、「政治利用」や「民衆利用」のために分かりやすさ、伝わりやすさは、同じように追及されてきたのであるから、現代音楽同様、「民」との距離を狭めてはいない。

むしろ「無調」の「抽象スタイル」をクラシックに当て嵌めようとし、高貴さを延長させようとする「策士」こそ、時代に逆行しているとしか思えないというのが、本書の優れた主張である

 

キーワード:トーマス・マンファウスト博士」 オペラ「サロメ」 オルダス・ハクスリー「すばらしい新世界」

 

参考

「20世紀を語る音楽」  アレックス・ロス 著

「観測可能」の科学と「監視」の法

 科学で白黒はつかないが、科学は間違いなく白黒を使っている。たとえば原子力の平和利用なる理念は、善悪二元論(効率善)のようである。とても「陰陽」のような人を「養う」構成ではない。

計算モデル(補正・拡張型)にも図形を使った考え方と級数を使った考えがあるように、知識の積み上げには、普遍性へ至る「量」があるのである。

カンブリア爆発を説明する「光スイッチ説」も、「眼が誕生した」ということと「眼の誕生が生物の外見の多様化を促進した」という、「観測可能」の条件を満たしたと言う事に過ぎないのである。

 

キーワード:毛利重能「割算書」  吉田光由「塵劫記

 

 

参考

「科学哲学講義」   森田邦久 著

ケンブリッジ数学史探偵」  北川智子 著

二重の法(物理と私)

私を世界に連れ戻す。それは陰陽の割裂としての昼と夜。導関数にあたるものがほかにも存在する。計算できないものが「接線」として確かに存在する。

「われわれの目が触れ合うときは、昼か夜か?」眼差しは見えない夜に直接触れ合っていると言えるのか?

この夜という闇が接触を中断する間隔化=空間化という誰のものでもない用域性空となる。これは接触するよりも間違いなく接触している。自らを中断しつつ自らに触れることに成功する。自己現前のための虚構の観念を存在させる。この虚構は共通性に抵抗している。ただ多様性として際限なく更新することができるだけだ。

この接触なき接触は「法」である。一つの節度ある知のあり方だ。ここにも限りない近似(接線)が存在する。これは人間に取って、きわめて有用なあり方(存在論)となった。

「触れなければならない、何よりも触れてはならないという、二重の法」これが知の形態である。

 

参考

「もの、言葉、思考」   三上真司 著

『「算木」を超えた男』   王青翔 著

「触覚、」   ジャック・デリダ 著

医神

伏羲は、結び目(網・綱)から漁・牧畜を教えた。

八卦は結縄と関連し、暗号という記録を考案した。

 

キーワード:暗号理論 結び目理論

 

参考

「醫の肖像」   日本大学医学部同窓会 編

脳と荒廃

業界紙は癒着関係にあるが、専門紙は独自に動き出す。

「セメ」を「踏」み、繰り返し歌い上げて行く。

脳は解決すべき問題を示すイメージに関心を持つ。特に曖昧なイメージに関心を示すのは、それが解決するべき問題を表しているからだ。それには先行する一種の無意識的行動が必ず必要だが、いつもその状態ではあまりに気をとられ、気詰まりになってしまうことで、荒廃してしまうケースもよくある話である。

 

参考

「仕事に役立つ専門紙・業界紙」   吉井潤 著

「乱舞の中世」白拍子・乱拍子・猿楽   沖本幸子 著

「芸術と脳科学の対話」   バルテュス+セミール・ゼキ 著

機序

ローレンツの幼児図式」は、攻撃行動を抑制させるとともに、援助を促進する「養育行動」を発現させる、解発刺激として作用することを、認知基盤としても認めているのである。

 

参考

「日本のサル」哺乳類学としての二ホンザル研究   辻大和・中川尚史 編