情報社会(収集とクローズ)

第二次世界大戦以降、科学技術のパワーとリスクは著しく増大した。

冷戦型科学技術システムは、秘匿性の高さが特徴的であった。厳格な情報管理が必要になり、統制のとれたクローズド組織体制が必要になったからだ。

それは情報社会の広がり、グローバルなネットワークの充実へ向かうことなく、軍産複合体を中心に、情報は逆説的に情報クローズを専門とするような社会にしたのである。

それゆえこの巨大化したクローズドシステムは、さらなる科学技術のリスク(攻撃)と向き合うことになる。経済的側面でのグローバル化は叫ばれたが、それでも実質、情報や知財や貿易はいまでもかなりの部分クローズされ、しかもそれゆえに危険にさらされているのである。

 

キーワード:ブタペスト宣言(国際科学会議)の規定(知識のための科学・平和のための科学・開発のための科学・社会のなかの、社会のための科学)

 

参考

「科学技術の現代史」システム、リスク、イノベーション     佐藤靖 著

AIの身体(フレーム問題)

たぶん汎用AIと身体を備えたロボットであれば、心は仮定できる。

フレーム問題は、身体を持つことによって解決されるからだ。

センサーによって身体の外側の環境を知覚していれば、そこに自らを作り出すことができるからだ。

 

キーワード:リアルタイム

 

参考

「AIに心は宿るのか」     松原仁 著

入口と出口の進化論

飛行機が高速で長距離を飛ぶには、空気密度の低い高高度で明らかに有利であった。そしてこれは航続距離の式と同じであった。

それゆえ、高高度を高速で長距離飛行するのは軍事戦略上極めて好ましいと位置づけられ、そこから性能目標値として、時速500マイル、飛行高度40,000フィートが理想として選択された。

ここから従来のレシプロ・エンジン(ピストン・エンジン)とプロペラの組み合わせでは「性能達成は不可能」と結論された。

そして新しいエンジンの思案は、高高度の条件、つまり大気気圧に関係があることにいち早く気づくと、吸気できるような圧縮機があれば、ピストンを超える出力を生む働きがあることに気づくにいたるのである。

 

           燃焼ガス発生装置

              ↑

キーワード: 吸気 → 連続圧縮機 → 連続性膨張機 → 負荷

                       ↓

                      排気

 

キーワード:作用力と反作用力 → 流体の作用力と反作用力 → 流体力学の形成

 

参考

「ジェット・エンジンの仕組み」     吉中司 著

肯定力と知の相関の平和主義(スピノザ主義)

生態の倫理における喜びは、思弁における肯定と相関している。それゆえスピノザ氏はすべてと整合するために生きる。

だから、「私たちのコナトゥスを決定するこうした触発による変様こそ、このコナトゥスに意識が生じる原因でなければならない」、と言う。

それは、「主要な大半の活動は無意識になされている。意識は普通ひとつの全体が高次の全体に従属しようとするときにしか現れてこない。なによりもまずそれは、そうした高次の全体に対する意識、私の外部にある実在に対する意識なのだ。意識は、私たちがそれに左右されてしまうような存在に対して生まれるのであり、そこに私たちが自身を組み入れてゆく手段なのである」と。

「自己触発的な変様に達することが多ければ多いほど、私たちはたとえその存在をうしなっても、あるいは苦しみさえしても、それによって失うものはますます少なくなる。そしてそうなればなるほど私たちは、じっさい悪はなにものでもないと、あるいは〈わるい〉ものは何も、ほとんど何も本質には属していないと、言い切れるようになるであろう。」

そしてこのことにより、実践的な諸問題、言い変えれば共通概念というものの起源や形成、そして系列をめぐる諸問題が、対応するさまざまな経験とあわせて、それ自体として考察の対象に据えていたことになるのである。

 

スピノザ氏の言う「幾何学的な秩序」には方向性がないように見えてしまうことがある。しかしそれはいかにして生きるのが最善で、人生において最も価値あるものは何かを語るものなので、不完全な時間の中に置くものではないから、この問題は生じてこないのである。

 

キーワード: スピノザ主義(ヘーゲル ニーチェ マルクス フロイト アインシュタイン ラッセル バリバール ネグリ

 

参考

スピノザ」    ジル・ドゥルーズ 著

知の教科書「スピノザ」    チャールズ・ジャレット 著

デフォルマシオン

世界は変えられる。

人知の向上の鍵は、科学と社会の結びつきにある。そしてそれは私たちの想像の中にあるリアリティーにある。すべては、人間の経験からあまりに遠く離れた領域で起こっているからだ。

それゆえ人間原理の諦念を救うために、ニーチェ氏のようにニヒリズムから救い出す永劫回帰の努力の立場とサイクリック宇宙論が同質であると、本書はあえて選択するのである。

そしてこの膨張と収縮の繰り返しは、ただ膨張する呑気な単一インフレーションとは違い、失敗と成功の認識論的切断の繰り返しを、パラダイム変換のように、いたるところ多様にばらまく存在として表現されるのである。

 

それは有史以前の壁に描かれた絵を見るとわかる。そこでは重力は無視され、物体が浮かんでいるように描かれているからだ。だが、そのうちに絵は立体的な表現に変わり、足は地についているように描かれるようになる。そしてその絵を見ると、明らかに重力の存在が意識されていることを感じるようになる。

例えばサルバドール・ダリの絵画には、より視覚的な役割が重力に与えられている。見慣れた物体が不思議な形でデフォルメされているからである。そしてそれは時間の中で、様々にデフォルメされてきた多様性の歴史をうまく示すのである。

 

参考

「ここまでわかった宇宙の謎」    二―ル・トゥロック 著

「重力はなぜうまれたのか」    ブライアン・クレッグ 著

デザインとルール(コミュニケーション能力の新定義)

本書は秀逸である。

誰でもわかるデザインなど存在しない。その迷信は、実際にはコミュニケーション不足から生じている。

 

飛行機の姿勢表示器には、どのように見せるかという、二つのディスプレーが存在する。飛行機を誰かが見ている時の視点「アウトサイドイン」と、パイロットの視点から飛行機は常に固定で位置も不変である視点「インサイドアウト」である。

どちらが正しいとは言えないが、人はこれを習慣化し学ばなければならない。時には常識や日常とは違う合理的なデザインが必ず存在するからだ。

デザインには習慣的なやり方を変えさせ、学習させ、よりコミュニケーションを促進させるこうした力もあるのである。新しいシステムに適応するのに混乱の時期が続くように、デザインにもコミュニケーションを事前に深めておくという相互学習が必ず必要である。デザインもルールだからだ。

 

またテクノロジーのニーズに人の行為が適していない場合が多いことも現代の「ヒューマンエラー」のひとつである。テクノロジー化にあったものは、人間が不得手であるもののことが多い。そうであれば、人間の不得手は残されたままにになり、それがテクノロジーの欠点という逆の見方が生まれる。しかしそこには、人間の能力とテクノロジーの要件に基本的なミスマッチが内在しているということであり、そこにエラーは避けられず生まれる。自分が不得手なものを理解し、コントロールすることなど人間的はだれもできないからである。

 

そしてもう一つの問題は、路上で作業員が穴を掘る時。人や車が落ちることを防ぐために柵を設置しなければならないが、実はそこから第二の危険まで取り除かなければならないという事象が生まれる。柵を警告するサインや点滅するライトを追加しなければならないことである。そして現実に、実に多くなりつつあるのがこの事例である。そしてこの追加される自己防衛にも似た壁は、ますます無意識にコミュニケーション能力を遠ざけるのである。

 

参考

増補・改訂版「誰のためのデザイン?」    D・A・ノーマン 著

新サブカルチャー論(分野のセントラルドグマ)

すべてが「本物」ではないし、また逆に「本物」を全否定する必要もない。歴史的事実としては「本物」でないものに人々が「本物」の表象を与え、そこに価値を感じるようにさせてきた「文化」という装置がある以上、それを現代のサブカルチャー隆盛の時代ためにも、もう一度考察し直すべきである。

 

「ポップ言説」のなかにも「クラシック音楽」を矛盾なくとらえることは可能である。その理由は「クラシック」言説が「ポピュラー音楽」を支配することをわれわれが「正常」とみなす一方、「ポップ言説」がクラシック音楽を支配することを「異常」とみなす「セントラルドグマ」にいまだ囚われているからである。(起源論)

そしてそのような意味でわれわれは、「クラシック」言説の重力から、いまだ自由ではないということだけなのである。(熱力学)

 

キーワード:逆も真なり 重層的決定

 

参考

クラシック音楽政治学」   渡辺裕 増田聡 ほか 著