確率てこの法則

十分な機会の数(超大数の法則)があり、多様性が織りなされていて、「確率てこの法則」(わずかな差異利用)があれば、それはすべて実質的に確実な話となる。環境の与えたわずかな変化が確率に途方もなく大きな影響を及ぼし得るのである。そしてそうした変化がとても小さい確率値を一転させる。

「私の確率、あなたの確率」という場面は、あなたの確率(他者の数)が圧倒的に多いから、確率も高く、すべてが他人事(客観確率)なのである。そして「確率てこの法則」はそれを逆転させる。

ここで大きくわけて二つの事象「私とあなたたち」の確率は独立ではないことがわかる。主観確率である。

世界は他にも存在する。集団(多数の起源とその交雑)は確率であるから、それは偶然ではなく創発現象として生まれ来る。実用主義的な創発は「確率てこの法則」のように「操作的なものとすることができる」からである。

科学的文脈(多様性の織物)もまた、あらたな創発を生むように。

政府による市場介入・不介入もこの確率てこの法則を存在させている。差別を巧み利用したい集団の教訓はこうだ。

「自分とおなじようなタイプの人々を利するような何らかの積極的差別(逆差別)を行っている人の集団は、結果的に自分と同じタイプの人々の生産性を実際に高め、他人にとって魅力を高めるかもしれないからだ。」

そして最後の分析では、彼らは自分と同類の人々を故意に優遇する必要はなくなる。いったん集団的差別が確立されると、彼自身のタイプの人々は、実際に生産性が高くなるからである。

個人が統計的情報と集団的特徴を使って個人的行動の予測を形成する単純な仕組みが、アイデンティティに悪性な性質を与えないようにすることと、無害の違いが転じて、人々が進んで命をささげるような重大な標識とならぬように、今後は確率への十分理解を深めることが必要である。

 

キーワード:尤度関数 確率密度関数 正規分布 対称性 差異 乗数効果

 

 参考

『「偶然」の統計学』    デイヴィッド・J・ハンド 著

「生命起源論の科学哲学」創発か、還元的説明か    クリストフ・マラテール 著

「見えざる手をこえて」新しい経済学のために     カウシック・バス― 著

現象と確率の境界内部処理

京極夏彦氏の考察は素晴らしい。

たとえば歩行をふさぎ妨げる妖怪「ぬりかべ」は、現象という「コト」(怪異)であるか?

しかしそれは「モノ」へ相互換可能である。

運動を塞ぐ「コト」、それは「自己内に起こる変化」なのか?

もしそれを「実在」とする「モノ」なら、乗り越えようとする「こころの変化」ではなく、邪魔ものを「破壊しようとする行為」となっていただろう。

そうなるとつまり、怪異現象を「起こす」ということは、何であるのか?

それが「ある」だけではたぶん、個人にも集団にも認知されえない。

ではこの「不整合の原因」を、「内部」に求めるのか、「外部」に求めるのかで、「何か起きている」と自分が感じるものは、さまざまに違うはずである。

そしてこの「選択肢」は「体験者」に強いる。

「個人的問題として処理」するか、個人的な問題として「処理しない」か、ということ。

現象が「個人の問題として差し戻す」のか、「社会問題として処理するか」の判定にも「怪異」は発生する。

個人的に原因を解明する、個人的には原因は解明できないと考えるか?

一般的にありえることなのか、頻繁に起こる事象ではない特殊なのか?

「なんらかの運動」「ある変化」は「起きている」ことではなく、一種「境界的な存在」を「操作している」ことにすぎないのか?

 

参考

「怪異学の技法」    東アジア恠異学会 編

T・S・エリオット氏と現代

「近づけてはだめだよ、あいつは人間の味方だからね」

「時間です どうぞ 早くお願いします」と、必ず言う「人間」だからだ。

 

私たちはみんな、おのが「独房」にいて、「鍵」のことばかり思っている。

ー 自制せよ ー

更に大きな文化の一部分たりうる、ということをも発見した今・・・。

文化は決して全局面的に意識されえない。文化というものは計画されえるものではない。外へ外へと延びて行く日本語のようなものだ。「病い」を押してもともかく、ある程度までは漕ぎつけるものだ。

それは「古いもの」とか「新しいもの」とか、そこらに転がっている固定した一つの「モノ」ではなく、言葉の意味で、過去から未来へと手渡される両極端の「感情」である。

 

参考

「荒地 文化の定義のための覚書」    T・S・エリオット 著

法の不確定性と法の支配

歴史を振り返ることで天文学が始まる。歴史のとらえ方で変わる宇宙観。残された歴史と破壊された歴史。植民地と天文学厄介な「起源」の問題。

「ヨーロッパの天文学よりも遅れている」等々という表現が目立つ中、このような態度では、「正確な記録」(寛容性)を歴史に残すのは難しい。

 

ある表現が「不確定」である場合とは、その表現に「寛容原理」が作用する余地のある場合である。「法の不確定性」と「法の支配」との新関係は、不明確性を低下させると、かえって法の支配に反するということである。なぜなら自己を拘束するインセンティブは相互作用であり、「寛容原理」という「不確定性」による「多様性」の発展だからである。

 

キーワード:事前確率 後期ヴィトゲンシュタイン ケインズ ハイエク

 

参考

「天文の世界史」   廣瀬匠 著

「比較不能な価値の迷路」リベラル・デモクラシーの憲法理論   長谷部恭男 著

幾何と統計が生む信号検出技術(チューブ法)

「縮退」している部分を持つことは、信号モデルの「表現」である。

妥当な幾何学表現が必要なのは、なめらかな移動と構造変化検出が位相同型だからだ。

 

キーワード:曲線  円錐曲線論 一次元多様体 ホテリングーワイルの公式 オイラー標数法 エクスカーション集合 降着円盤 微分積分幾何学 結び目理論 生体機構 宇沢弘文

 

参考

「技術に生きる現代数学」   若山正人 編

「世界は2乗でできている」 自然にひそむ平方数の不思議    小島寛之 著

低水工事と高水工事の歴史力学

水深の確保は、「定義」を生む。

本書は、河川に対する錯綜した関与主体を歴史的に見事に紐解く。

舟運路や農業などの取り水を容易に確保するために担保されたのは「低水工事」である。一方鉄道などの陸運が発達してくると物資輸送の舟運は衰退し、さらに河川沿川が工業化、都市化してくると、これらの施設を洪水から守る必要が高まる。それが洪水を対象とする工事、「高水工事」である。

こうして「利水(舟運、用水)」のための低水工事から、「治水」のための高水工事という、将来あい矛盾する二面性が登場する。

そしてここから河川は、上流から下流に向かって、「治山」「砂防」「治水」「港湾」へと輪切りにされ、河川は、「錯綜した関与主体」を持つようになる。

それゆえ日本には、ヨーロッパのような「発電」、「用水」という「専用ダム」はなく、一気に「多目的ダム」へ向かうのである。

 

キーワード:流域治水

 

参考

「河川工学者三代は川をどう見てきたのか」安藝皎一、高橋裕、大熊孝と近代河川行政一五〇年 篠原修 著                                              

境界(租税)

本書は秀逸な歴史書である。

国際税務とは、多くの国の間で決められたものではなく、「二国間」で決められた租税条約の総称である。

そしてここから現代の「税源浸食と利益移転」がはじまる。それは二重課税を排除するための租税条約が、二重非課税の租税条約に化けたからだ。これは「境界」の問題であるが、現実の境界ではなく、むしろ「無境界」という時代に始まる国家と個人、B2BとB2Cの無境界性による。

そして最後にくるのが「デジタルコンテンツ」課税の今後の方向性である。

 

キーワード: リバースチャージ方式 国外事業者登録制度

 

参考

「BEPS」動き出した国際税務基準     望月一央 著