「不作為の罪」なき未来

「未来は既に到来している。均等に分布していないだけだ」  ウィリアム・ギブスン

 

全ての「不作為」が禁じられる「オンラインコミュニティ」と「オンライン診断システム」は、自然生成する。こうして「何もしない状態」は、世界から消滅する。

ゆえに実用的な「専門知識」を、「コモンズ」を基盤として利用できるようにするという発想には実現性がある。専門知識の「解放」は、将来の提供者に対し、広範囲な「排他性」を認める必要を感じないということである。

 

キーワード:オンラインコミュニティ オンライン診断システム

 

参考

「プロフェッショナルの未来」    リチャード・サスカインド ダニエル・サスカインド 著

「シェア」の歴史的必然

本書は危機管理指南の意味でも秀逸な論考である。

それは「雇用なき景気回復」という「非正規雇用者」の拡大から来た。このことは会社という共同体に属さない個人化した人々を増大させた。ここに社会的な孤立化による危険が拡大した。それゆえにこの雇用の流動化は、必然的により人びとのつながりを求める第四の消費の誕生を早めた。問題の増加が、別の新しい動きを生み出したと言える。

こうして「物の値打ち」(消費)から、今まで価値否定されてきた「表現物の交流」(シェア)にあらたな裏打ちがなされたのである。

 

「想像しうる未来は、いわば進歩の観念抜きの近代文明世界であり、未来志向を前提としない啓蒙主義社会と言えるかもしれない。もちろん進歩は文明の綻びの繕いとして永遠に続くだろうが、人々がそのことを現在を生きるための前提とせず、進歩があろうがなかろうが、現在を充実して生きることのできる文明の到来が、いま期待されるのである。」

             「世界文明史の試み」山﨑正和 2011年

 

参考

「第四の消費」   三浦展 著

大人

ゴリラには「子ども期」がない。人間では、およそ三歳から七歳の子ども期が、言語の発達や咀嚼器官の完成という点で、個体発生上きわめて重要な期間である。

成長・発育を経ずに、教育されずに、ゴリラが大人の落ち着きと経験を持てることは、饒舌より子の教育には重要であろう。

人間の子ども期の教育が長引いていると、言語は用いるほどに矛盾撞着を引き起こし、いよいよ空転する自己主張に落ち込み、大人らしい落ち着きと経験を子孫にうまく伝えることができないからだ。

そして人倫を尊重し、崇高な目的を持つ集団には言語化された規定や命令など必要ないからである。

 

参考

「日本の人類学」   山極寿一 尾本恵市 著

「禅」    沖本克己 著

現在

吉田健一氏は言う。

万事が自明であった時代に於ては、明確な表現は努力を必要としなかった。そういう努力が必要になって来たのを最初に感じたのポオである。そしてその使命を、言語の正式な簡易化において完成したのがヴァレリー氏なのである。しかし、その平明さは他に例をみないがゆえに、かえって難解と思われるにいたるが、その表現は、特異な独創性ではないのである。彼はむしろ独創性を忌避し、求める凡てのものを既存の現実に発見しているのである。

 

ヴァレリー氏自身も言っている。

「今日の人間には現在というものがない」と。

 

参考

「精神の政治学」   ポール・ヴァレリー 著  吉田健一 訳

創世記

「喪失」はどんな人にも降りかかる。

休日は一つの喪失かもしれないが、「私はひとりではない」ということを考えさせる日でもある。

 

参考

「OPTION B」   シェリル・サンドバーグ  アダム・グラント 著

リピーター

すでに気づかれている人も多いと思われるが、「奇跡の旅館」はIT化から来たわけではない。合理化、きめの細かいサービスもその理由だろうが、最大の事前ポイントは、機会費用に対する新しい概念である。あてにならない一見さん(利便・機会)からリピーターになっていただくための、その道筋である。

たとえば日本の鉄道は時間に正確である。それゆえに利用者は無意識にその合理性に正確に歩調を合わせてくれる。そしてそれを鉄道は、予測による合理化とサービスの向上にさらに役立てることができる。

予測の立たない年中無休から、この旅館が週休2日制にしたことは、「賭け」ではあるが「決定論」である。無駄な空き時間の概念は年中無休(ランダム信仰)から来ているわけで、「定休日利用」は逆に、利用者と経営者に濃密な時間と空間を決定的に作り出すのである。

 

キーワード: 機会費用 一見さん 集中と選択 定休日 予測可能性 決定論

 

参考

日本テレビ「シューイチ」奇跡の旅館

近代人の誕生

本書は秀逸である。

誰もが礼儀正しさを習得しうるには、生まれや身分を超えた人間の能力の平等が前提されなければならない。そうでなければその身振りは、自己を実態以上に見せようと、うわべを取り繕う虚偽と虚栄の悪徳となる。

もともと礼儀正しさは、宮廷という環境によって育まれたもので、そこに「曰く言いがたい」何かという、理解も説明も不可能な要因が加わることで生まれた、一種の個人的妙技ですらあった。

しかしその「礼儀作法」を習得可能な「一技術」に還元し、「万人のための書物」(テクスト)による普及を図る作法論は、作法と身分論との分業を一歩進めた点で、革新的とさえ言ってよい。

このことは礼儀作法を身分秩序の外在化と位置づけながらも、特定の階層の占有物ではないことを示すのみならず、おそらく図らずとも、身分社会の流動化に一役買ったかもしれないということを示す。

 

キーワード: ジョン・デューイ  表象文化論

 

参考

「クルタンの礼儀作法書」    アントワーヌ・ド・クルタン 著

胡適 1891-1962」    ジェローム・B・グリーダー 著