抗生物質とは何か

本書は秀逸である。

抗生物質をつくる微生物は直接自己に関係しない「二次代謝」を形成する。放線菌は自己生産抗生物質を細胞外へ排出するポンプを持つことで、自己耐性を維持している。

その「なぜ」に迫るのが本書である。

抗生物質は遺伝子発現を制御する。

「微生物によってつくられ、微生物の増殖を阻害する物質」は「特定遺伝子の発現をポジティブに制御(コントロール)する物質」として働くことを強く示唆しているからである。

 

参考

感染症に挑む」   杉山政則 著   コーディネーター 高橋洋子

クレオール再考

本書は秀逸である。

否応なくその環境に順応するためにネイティブが変化する。

中国の強い影響を受けて来た日本画は、19世紀後半から西洋絵画の圧倒的な影響を受けてクレオール化する。これはグローバル化のようなハイブリット化を意味しない。ゆえに系統だてて蒐集することには無理がある。そこで「等閑視」されるという歴史的事態が起こる。限定と概念に無理が生じ、全体忘却が生じ、個だけがトピックとなる。

しかしこういう「忘却」もまた、すっかり忘れ去られてしまうことはない。戦後文学というものが特別にクレオール化したように、忘れていたつもりでもあるときふと思い出す。Ⅿ・デュラス氏がヒロシマを「私の恋人」(モナムール)として形象化することで、決して忘れることができないものにしようとしたように。

こうして戦後70年にあらわれた表現は、たとえヒロシマナガサキを描くものであっても、東日本大震災から捉えなおされて、読み直されるものとなった。かつまた東日本大震災をすぐさま戦争にたとえた直観を確かめるものともなった。しかしそれは、フクシマが戦争状態であることを意味しない。むしろ戦後をフクシマから読み直し、戦後のなかにフクシマを見出すことであったのだ。

 

参考

「日本映画とは何だったのか」   古田亮 著

「その後の震災後文学論」   木村朗子 著

経済原理から政治原理へ

官吏は皇帝の下僕であるがゆえに貴い、という王土王民思想は長い。

しかし官吏の俸禄は租税からくる。租税は民からくる、ならば民が賃金を支払って官吏なるものを雇用するのである。この官民主従逆転説は、律令体制解体後の経済体制によって可能となった、経済論の政治論への適用である。

租税は雇用関係(民の役)を明らかにしたのである。この公僕(人を治むるものは人に食わる)の考えは、労役という考えを払拭し、新たな創造(経済活動)を活動し始めるのである。

 

キーワード:大規模水利工事

 

参考

「柳宗元」    戸崎哲彦 著

社会資産

情報そのものが世界最大の産業になるなか、データバンクは個人について、本人以上に多くを知るようになる。データバンクが一人一人の情報を集めるほど、われわれの存在は希薄になる。   

                            - マーシャル・マクルーハン ー

 

これは望もうと望むまいと、最終的に個人が個人であるよりも、自分が自分であるよりも、最大限「社会資産」になる前提となる。

 

 

参考

「アマゾノミクス」    アンドレアス・ワイガンド 著

対話相手と翻訳

発話の真偽の決定について、発話の文脈とは区別されるが、D・ヒューム氏の言うように、一つの見方が解決しても次の見方が次から次へと出てくる点において、その無限の連続性はやはり相対主義のように見える。

ただこの問題が「言語哲学」にあるのか、「倫理学」によるのか、「美学」の嗜好にあるのかは、総合的哲学の懐による。

 

参考

「新哲学対話」   飯田隆 著

なぜ日本の桜は美しいのか

人気講師は語る。

 

木は土が嫌いではない。

咲き誇る桜は、参勤交代によりその地を選ばぬかのように競った。

大きな影響で品種は増え、世界的に見て専門の植木職が独立して生計を立てられる環境を、日本だけはつくることができたのである。

 

参考

「木を知る・木に学ぶ」    石井誠治 著

時間の物象化

「時間」に対する「物神崇拝」がすべての根拠である。

これは「未来」という「貨幣不在の属性」である。「記憶の産業化」は、「仮想形式」を完成させつつある。時間は最後まで「信用の安全装置」に見えてしまうからだ。

信用操作は時間的な未来の先取りだが、時間的な現在にそくしていえば、それは「他者の資本を担保にすること」にほかならない。賭けられているのは、かくてむしろ「社会的資本」である。

ここでは時間が「みずからの資本にではなく、社会的な資本に対して処分権」を与える。しかしたとえこれが「流動性の便宜」としても、「物神崇拝」であることに変わりはないのである。

 

参考

マルクス 資本論の哲学」     熊野純彦 著