テイスティング

のぼり棒や木登りのように、人はどこまでも登れるが、そこから降りられるかどうかを知る位置の「確認と認識」が「必要かつ重要」だ。

自分が飛べる距離、飛び降りられる高さ等は、試行錯誤のテイスティングと同じだ。

味見をしないで最後まで行く人間の料理は間違いなく上達しない。 

 

キーワード:差分 岐路 独創

 

参考

ザ・フード・ラボ」   J・ケンジ・ロペス=アルト 著

「丸山眞男」の「世界」

日本の思想史は曖昧で定義しづらい。そこには古来特定のイデオロギーが無いからである。

丸山氏の講義の中で間奏曲のように存在する「キリシタン論」は、「開国」において受容と伝統の共存という「逆説」の媒介となる。明治維新は、社会凝縮性と同時に危機に直面して、「救済」という「出口」を求めたのである。

そしてここにこそ「世界の丸山眞男」という「解釈」が誕生したのである。(プリンストン大学ハーバード大学の評価)

 

キーワード:横浜バンド・札幌バンド・熊本バンド・阪神バンド

 

参考

丸山眞男講義録」別冊二 日本政治思想史 一九五七/五八

進化経済学の生態史(日本編)

地方ではすでに淘汰は完了し、そこに住む人々は、都市のサラリマン(流民)より収入がある。地方は、愛着があるからではなく、そこに住めるから住むのである。そして現代日本の有権者はそういう布置にある。

たとえば炭鉱の歴史を見ると、中央財閥系炭鉱である大手炭鉱は福祉や組合、労働条件を改善したが、地場炭鉱では過酷な状態が長く続いた。つまり日本の政治には、福祉と淘汰の生態史が理解できていない。

進化経済学は教える。都市はつまり、収入で生きるのではなく、福祉で生きているのである。

 

キーワード:有権者 中央政府 地方自治体 選挙区 平等 人口 税制

 

参考

「政治経済の生態学」   スヴェン・スタインモ 著

「民衆史の遺産」第12巻坑夫   谷川健一・大和岩雄 責任編集

メンタルの強さ

メンタルの強さは、人間関係に強いことを意味しない。

プレッシャーなどという人間臭いものに対する、矛盾したものを悩みとしない。

なぜなら反社会的行為も社会における人間関係を巧みに想定しているからだ。

メンタルの強さは、利権的人間関係に巻き込まれない個人の強さを意味する。

「考えること」は、一時的に人間関係から解離すること、個人になることだ。

そしてそれが雑念を払う集中力となり、解脱の快楽となる。

メンタルの強さは誰も成し遂げなかったものを無関係に創り上げる能力である。

それは個人から社会への真の貢献(贈与)である。

民主主義と共依存

民主主義は巨大なインフルエンサーである。誰もが他者から来るものに大きな影響を受ける厄介な性質がある。ゆえに不平等を否定するより、なるべく今明らかにされている不平等から遠いものを選ぶのが賢明であるチャンスを与える。

共依存の回復論に内在する倫理観は、先頭のアメリカで起きた。家族の中で大人が子供に、男が女に振るう暴力や虐待が、不平等という事実と同時に明らかにされた。論理性を持って主張できない者、感情に訴えかけることさえできない者の存在は声を潜めていたからだ。

なぜあなたはそんなにやさしいのか?という質問に、

「あなたが必要。あなたを利用している。」

この言葉こそ、共依存からの回復を拒否している民主主義である。これを病理と見るか、非病理と見るかの矛盾が民主主義に内在したものとして露呈したのである。

「共」という言葉は「集団性」を示す着眼点である。あらゆる依存を網羅する「共依存」はこうして生まれた。それゆえ巨大集団性たる「他者性」たちの「介入」は、ふたたび疑いにかけられるのである。「関係性におけるあるべき姿」に対するキーワードたる「回復」と、「未熟」「不健全」という対概念は、むしろ流れにそぐわない。改善を拒否することで、「悲劇的な人生」のなかに肯定性を発見し、自虐的に「不幸」のなかに「幸福」を見つめて生きている者もいるからである。

 

参考

「分かち合い社会の構想」   神野直彦 井出英策 連合総合生活開発研究所 編

「不平等」   ジェームズ・K・ガルブレイス 著

共依存の倫理」   小西真理子 著

「他」があるという発見と救済の開示

「翻訳が主体という言葉の存在を規定してると言う事態」に直面することは、ヘーゲル精神現象学の「主」と「奴」の弁証法に突き合わされることである。

それは、秘密への開示(発見)と救済を軸とした言語遍歴の始まりである。

 

キーワード:多孔性 物性

 

参考

「思想としての言語」   中島隆博 著

ヘーゲルとハイチ」   スーザン・バック=モース 著

言語矛盾から統計学実装へ

治国済世の統計学は、政策科学の基礎である。幕藩体制(各藩)から近代的立憲国家(国政)へ向かう明治維新には、根拠となる数字にもとづいた政策の必要を見た。そして高度成長期には富国たる中身の価値目標に使われた。さらにグローバル化では豊かな国と貧しい国の再分配戦争があり、秘密裡なものから拡散する数字に関するものまでが、独立と安心の目標実現のためにともされた。

統計学はいまや「発揮し来れる知識」となり、発明できるものは「推測的な結果」となった。

それゆえ短期的な健康と長期的な健康が矛盾することも政策科学となる。長期的健康にとって、短期的な健康が必ずしも健康ではないという言語矛盾である。そしてこの言語矛盾を上手く表現するものが、実は現代統計学なのである。

 

参考

統計学の日本史」   宮川公男 著

「食と健康の一億年史」   スティーブン・レ 著