独り相撲

独り
 
相手もいないのに、また、周囲の事情や結果を考えずに、独りで意気込むこと。
物事を1人だけで気負いこむこと。
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理論・行動が、同じところをまわっていて、発展しないこと。
つまりこのことは周囲に無駄に話しかける滑稽なパフォーマンスであるか、独我論的「コミュ障」の本質を体現している
 
キーワード: コミュ障

自主規制と日本

「法の支配」にも、歴史研究と史料編纂の理解度を深めることが重要である。それをしなければ錯綜した政治的関係を理解することは困難である。

日本の法治国家としての安定性と治安は、法の支配ではなく、「自主規制」のなかで保持されてきた。自分に「規制(規則)」を課す「制御」が様々なアイデア(知)を生んできたのである。

戦後課せられた平和憲法は、この自主規制のなかに取り込まれ、自主性(主体)を保持した。昨今「議員立法」が増えているのも、その「数」から見るべきではなく、「積極性」の増大と見るべきである。

超党派」が生まれ、「数の論理」に負けない「自発性」の裏には、多数派の論理(法の支配)ではなく、自主規制(思考と知の自発性)としての「自由」の活路が見られる。

これは「政権交代」よりも、「議会」(国会運営)そのものが変わらなければならないことの現れ(二院制も同様)であることを正しく踏襲している。

第二次世界大戦以降2016年まで、アメリカでは6回、フランスでは27回、ドイツでは60回、韓国では9回、憲法改正が行われているが、戦後連合国が課した日本の「平和憲法」は一度も改正されたことはないが、日本のマナー技術は世界一である。その衝突回避(ガラパゴス化)の先端技術は、世界も認めるほど品位(文化)が高い。

日本の憲法が「硬性憲法」であっても硬直せず、自由裁量の余白をより多く育んできたのは、この自主規制という国民各人の「制御の賜物」である。自己規制、自己に規則を課す者こそ「思考の天才」であり、「生活世界」が生き生きと自由になることの証左であることをここに示す。

 

キーワード:自主規制 日本国憲法 議会 超党派 議員立法 国会運営 

 

参考

「日本文化史講義」   大隅和雄 著

議員立法の実際」   茅野千江子 著

規則を課す

「コギト・エルゴ・スム」は、「方法的懐疑」と言われるが、その「自己自覚的方法」は、自分に「規則を課す」ことから始まる。「規則を課す」とは、そのたびに「考える自己」(来歴)であるということだ。

デカルト氏の「方法序説」は明証的である。

「私の解いた問題の一つ一つは規則となって、その後、私が他の問題を解くのに役立った。」

 

キーワード:スピノザ「エチカ」 公理的集合論 不完全性定理 超越論的主体 生活世界

 

 参考

「数学の問題の発見的解き方」1   G・ポリア

アムネスティ

「始まりの制圧」と「不在の現在」は、二つの系譜とみられる。これは忘却(記憶)という和解(アムネスティ)を内包した「内乱」である。それは「起源のねつ造」と「不在の現前」が、「忘却」と「不自然な葛藤」のなかに「領土化」されているのである。

心的な葛藤を対立という「分裂型の葛藤」と見るか、区分されない一元論的な動揺という「振動型の葛藤」と考える見方である。(中畑正志氏)

 

参考

「内乱の政治哲学」    神崎繁 著

面グラフ

円グラフは、時系列データを用いた時間経過による内訳の推移(数意)を表現できない。

オイラー氏のグラフ理論は直接曲線概念ではなく「関数概念」でスタートしているので、棒グラフからスタートし、折れ線グラフ・レーダーチャート・ヒートマップ・散布図・積み上げグラフという「面グラフ」の特性を生かしてゆくのは必然であった。

 

キーワード:地図 歴史 

 

参考

「グラフをつくる前に読む本」   松本健太郎 著

聖ゲオルギウスと「黄金伝説」

 十一世紀ジョージアで、聖ゲオルギウスの竜退治像に大きな変革が生じる。竜退治伝説は王女救出劇となり、それは画像化され、十三世紀には「黄金伝説」としてヨーロッパ中に広まる。ルネサンスの芸術家たちはこれを格好の題材と見る。聖ゲオルギウスは殉教者やキリストの戦士としてよりも、王女救出の竜退治者として、今日まで絶大な人気を博す。

そして、後に「ノミナリズム」が主意主義として「新しい信心」をして確実に変革(宗教改革)して行くのは、この王女の「拉致」体験がはじまりであると思われる。絶望に陥れる拉致を脱自存立(ヘーゲル)に変容させてゆく神秘主義は、こうしてカール・バルト氏の実存主義神学に大きな影響を与える。

 

キーワード:教条主義⇒拘束(精神的拉致)からの自由⇒ユマニスム

 

参考

「聖人と竜」    高橋輝和 著

「二つの宗教改革」   H・A・オーバーマン 著

流動と表面と層の概念

大陸移動説から地球磁場に考えがいたり、海洋底拡大説が誘引されたが、両者の区分を超えたところにプレートテクトニクス理論が誕生した。

このような思考の流れがあることは、いまでも事実の時系列と思考の時系列に「時制」が重要であることを物語るのである。

流動がなぜ板で表現されるまでになるのか?層概念とは何か?

現在がいくら合理的でも、過去研究は最終的に無意味なことではないことを示す。

 

参考

改訂版「地球の科学」   佐藤暢 著