卓越した歴史観

面積は「ゼロ」の発見であった。

しかしそれに気づくには歳月が必要であった。ここに必要なのが「卓越した歴史観」である。

面積は空の器、余白(ゼロ)であった。この余白は、「蓄え」全体を支持していたが、収穫を「分ける」意識から、それは面積(度量)となる。なぜならアルキメデス氏はこの余白を、「ストマキオン」で、分解を利用するパズル、組合わせ、順列などを考えていたことなどがうかがえるからだ。

つまりゼロであったからこそ、面積は「負」の認識を持ち、「向き」を持つ数の概念であったのだ。そして「方向」を持つことは面積速度一定、惑星が平面上を動くことを弁証法的に発展させてきた。これは認識の順次性・系統性をも示すものである。

ファインマン氏の「最小作用の原理」は、「ブラックホール」の「面積の限界」と同期する。

「物質粒子」と「力を運ぶ粒子」からなる「標準模型」に、「他の粒子に質量を与えるため」、「対称性を破るため」の場(ヒッグス)は厄介な問題であるが、面積(余次元)という抽象概念に戻れば、再び道は開けるのである。

 

参考

「面積の発見」   武藤徹 著

ファインマン経路積分の発見」   ローリー・ブラウン 編

「ヒッグス」   ショーン・キャロル 著

事象の地平面

「傾斜」となる位置が、「事象の地平面」となる。

 

キーワード:アルキメディアン・スクリュー ゴム膜の凹み ゲシュタルト 特異点 情報伝達の境界面

 

参考

ブラックホールをのぞいてみたら」   大須賀健 著

重力波で見える宇宙のはじまり」   ピエール・ビネトリュイ 著

出口

男子が理系に「強い」と言う事は決してない。本書では、現在の「男子劣化」状況は明らかに「弱さ」を示している。

これは理系離れではない。「劣化」なのだ。

「ネットに繋がりっぱなしで繋がれない」

「なぜ宛名の書かれていない封筒のように、ただそこに座っているのか」

IT中心の新時代的生活を「先取り」している者はいない。むしろブラックホール(傾斜)に飲み込まれているのである。

 

参考

「男子劣化社会」  フィリップ・ジンバルドー  ニキータ・クーロン 著

公教育

本書は、「反ユダヤ主義」を叫ぶユダヤ人や、イスラム教徒を人質に取ろうとするジハーディストとその他のイスラム教徒を混同するという過ちに陥ることなく、落ち着いた反応を示すことが大切であることを歴史本性に則して示す良書(公教育)である。

 

参考

「グローバル・ジハードのパラダイム」   ジル・ケペル アントワーヌ・ジャルダン 著

見渡す限り先端テクノロジーであるという幸福

本書は素晴らしいテクノロジーである。

そこには、視覚的でも頭脳的でもない恒常的な幸福感という造形がある。キュビスムの解釈に乗じて、絵画空間でありながら、チェスのゲーム空間であろうとするように、視覚の網膜より先に行かない運動感覚で幸福のプレーヤー感覚を体感できることを示す。脳を通して見ていない体感が、幸福の体感という造形である。それは仮想空間の可視化へと向かう転換が行われる。実はこれがシミュレーションという頭脳的な運動なのである。これが視覚的なものから概念への移行である。これは見たままではない、自己と世界の肯定感覚が融合している状態である。その点が身体の感覚を含めた幸福感である。この励起された知的構造は触れる前に想像し、それぞれの動きのコンビネーションを作り出している。これは方向性から無限にズレてゆく視覚的無関心(方向外)である。しかしそれは動かすことで得られる不可視の物体となる。

 

参考

マルセル・デュシャンとチェス」   中尾拓哉 著

予言の自己成就(日本的慣行と負のコスト)

日本の「縁約」的な特性は「契約」と違い、「報酬の連帯性」と「報酬の個別性」の意味を戦略矛盾させる。

統計的差別には、このような一種の「予言の自己成就」(負の思考)、「意識による誤解」の面が強い。

日本的減点主義というのは、不作為(意図的無行動を意味し、例えば慣習を踏襲すること)の失敗は罰せられないが、作為(意図的行動を意味し、例えば慣習を破ること)の失敗は大きく減点され、また不作為の成功も作為の成功も、成功は同等に評価されるシステムである。

しかし得点主義というのは、不作為の失敗も作為の失敗も、失敗は同等にマイナス評価されるが、成功の場合は不作為の場合は評価されず、作為の場合は高く評価される制度をいう。

つまり減点主義は、人件費削減のようなリスク回避(ジリ貧)であり、Ⅴ字回復のような戦略的ゲームではない。このような統計的差別は、インセンティブのない「予言の自己成就」(不幸の実現・不幸の意識)でしかない。

 

参考

「働き方の男女不平等」    山口一男 著

造形原理

もし江戸城を見たなら、その内部も「格子縞模様」に「印象」される。

「飾り布」の西欧世界に、「着物」の平面性を見つけても、何ら不思議はない。

マチス氏やクリムト氏は、その「平面」へ還る。

「テキスタイル」と「キュビスム」は、造形原理のアーカイブス(表面)である。

 

参考

「きものとジャポニズム」   深井晃子 著